近頃、プラスチック・ニュートラルという言葉を聞くようになった。カーボンニュートラルが市民権を得ているため、それを真似た考えだ。
プラスチックオフセットという言葉も聞いた。プラスチックをどうやったらオフセット(相殺)できるというのか。リサイクルやごみ拾いのために資金提供したらオフセットできるということらしいが・・。
プラスチックを世に出す企業とリサイクルする企業(あるいはごみ拾い団体)の間を取り持つのはコンサルティング会社やNGOらしいが、いかにもインチキくさくないか。
いつまでもプラスチックを生産し続けたい企業にとってはよいアイディアかもしれない。しかし、カーボンニュートラルの考えでさえ批判されている昨今、プラスチック・ニュートラルなどあり得ない。
カーボンはオフセット(相殺)できたとしても、プラスチックは決してオフセットできないためだ。
多くのプラスチックは水平リサイクルできないし、プラスチックは生産した時点から劣化が始まる。どんなにリサイクルしても、どんなにプラごみを拾っても、プラスチック製造と相殺できるとは思えない。
オフセットできないものが、ニュートラル(中立)になどなるわけがない。
そう腹立たしく思っていたところ、フランスの第一線で活躍するプラスチック研究者が書いた『プラスチックと歩む』(ナタリー・ゴンタール、エレーヌ・サンジェ著)の文章が目に止まった。
「現在まで、リサイクルでプラスチックが消えたことは一度もなく、リサイクルされたプラスチックはバージン材の代わりにならないからだ。もしそれが可能なら、シリアルバーの包装の小袋は、間違いなく同じ素材をリサイクルしたプラスチックで作られているはずだ。つまり、どう考えても「プラスチックニュートラル」とは、人を欺く専門用語なのである。」(p.145『プラスチックと歩む』、原書房、2021)
やはり、プラスチック・ニュートラルやプラスチックオフセットは、グリーンウォッシュ(見せかけのエコ、偽装エコ)だろう。