遅ればせながら、浅野詠子著『ダムと民の五十年抗争』(風媒社, 2017年)を読んだ。
ダム建設にまつわる住民同士の対立は、原発建設と同じだ。
巨大ダムの治水効果は限定的で、しかもかえって危険なことさえあるようだ。
半世紀にも及んだ大滝ダムの総事業費は3640億円。かなりの部分が国の負担だが、奈良県の負担分も相当な額だ。
計画段階では過剰な水需要が試算されていたらしいが、実際の水需要はとても少ない。
なぜ事業費が異常に膨れ上がったのか。調べようにも、保存年限は10年ほどのものが多く、既にダム完成前に相当の文書が廃棄されていたという。
以前から、日本の公文書管理はひどいと思っていたが、公文書を残したくない人たちがわざと保存年限などを短くして、できるだけ開示させないように仕組んでいるのではないか、と邪推したくなる。
目先の利益のためには、自然や文化を破壊しても構わないとする風潮に、神宮外苑の再開発事業にも似たものを感じる。
奈良県知事が進める奈良県の水道事業の広域化計画は、この大滝ダムの水をもっと県民に飲ませるためのものだと指摘する声があるそうだ。確かに、ダムの水を県民にもっと活用させ、県の財政に少しでも貢献させようという県の思惑が見え隠れしているように感じる。
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