環境省による産廃廃プラ焼却推進論とデポジット制度反対論は同根

容器包装リサイクル法ができたとき、これで企業が再商品化費用を支払うことになり企業責任が明確になる、と安堵した反面、本来回収責任も企業にあるはずだということが忘れられてしまうのでは?と懸念した。

世界では、回収から最終処分(リサイクルなど)までを企業責任とする拡大生産者責任が当たり前になってきている。日本が真似をしたというフランスの包装令も、制度導入当初は5割ほどしかなかった生産者責任割合をどんどん拡大している。

しかし日本では、企業責任が縮小されつつあるようだ。

その一例として、環境省が自治体の焼却炉で産業廃棄物である廃プラの焼却を推進するかのような報道があった。焼却に協力した自治体には、環境省が支援金まで出すという。

産業廃棄物を100%企業責任で処理することは当然である。どんなに困っても、これに税金を使うべきではない。

同様に、使い捨ての容器包装なども企業責任で処理すべきだ。そうでなければ、自治体が税金を使って使い捨てを応援していることになる。

最近、飲料容器のデポジット制度に対する反対意見を読んだ。日本は十分回収率が高いのだから、デポジット制度にするのは意味がないのだそうだ。しかも、本来デポジット制度はリユースできるものが対象で、使い捨てのものをデポジット制度で回収するのはおかしい、というこれまでの経緯を無視するかのような「先祖返り的」意見も制度に反対する根拠の1つになっていた。

しかしこれらの意見にはいくつもの重大な間違いがある。うち1つに、先般の報道との類似点がある。

自治体が税金を使って、なぜいつまでも使い捨てのペットボトルや缶・びんを回収しなければならないのか?例えばペットボトルは、現在、自治体が半分以上を回収し、ようやく80%程度のリサイクル率を達成している。

なぜ、自治体が、月に幾度も集積所を廻って、住民が使い捨てた嗜好品の容器を回収し続けなければならないのか?回収費用のほうが、ペットボトルの売却費用よりもはるかに高くつくにも関わらず。

自治体が税金で回収し続ける限り、ペットボトルなど使い捨て容器に補助金を出しているのと同じだから、いつまでたっても使い捨ては減らない。

企業が、生産者責任として回収費用を最初から販売代金に上乗せして回収するのが当然ではないか。しかし、消費者が容器を回収ボックスまで返却しに行くのは、自治体回収よりも手間がかかる。そのため、返却にはインセンティブ(動機付け)が必要だ。その点でデポジット制度は優れた回収制度であろう。

デポジット制度に反対する人は、まず回収責任の所在、つまり「誰が責任を持つべきか」を考えてほしい。

自治体による産廃廃プラ焼却推進意見と、デポジット制度反対意見からは、「税金で処理して当然。税金で回収して当然。みんなで使ったものだから、みんなのお金で処理しましょう」という気持ちの悪い甘え(あるいは故意に責任の所在をウヤムヤにする意図)を感じる。

この甘さが、ペットボトルや缶の消費量と散乱量を増やしているのではないか。

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