モリカケ問題にみる日本の公文書管理のズサンさ

国や自治体の管理する「公文書」。日本ではその公文書の意味がまったく理解されていないように見える。

公文書は歴史的価値のあるものばかりでなく、どのようにその事業が決定されたのか、どうしてその法(あるいは条例)制定に至ったのか、その結果がどのように評価されたか、その効果はいかがか、など一般市民にとっても身近で、影響のある問題への疑問を解決してくれるとても大事な資料である。

税金を使って行われた事業の場合、その税金が正しく使われたのかをチェックするには、大小さまざまな公文書がどうしても必要だ。

さらに、後世の人にとっても、新規事業のために参考になる大変貴重な資料である。

それにも関わらず、廃棄や改ざんなど通常ならば絶対に有り得ないことが問題になっている。

以前、カナダのある州へデポジット制度についての調査に行ったところ、ほしい資料が入手できず、やむなく州の公文書館を訪れた。公文書館ではスタッフが親切に対応してくれ、出してもらった資料をコピーしたいと申し出ると、コピーだと明日になるから写真を撮ったらよい、といわれ、照明などの機材も貸してくれた。もちろんすべて無料である。担当者の手書きのメモ書きのようなものまで大事に保管されていた。

日本の、例えば国立国会図書館では、明らかに公文書とわかるものであっても、「著作権の範囲内で」といわれて、資料を全頁コピーさせてもらえない(公文書の発行者に連絡が取れ、許可を得られれば全文コピーできるとのことではあるが、古い公文書は発行者に連絡を取りくいことも多い・・)。しかも、コピー代が高い上、写真撮影は禁止である。

日本にも公文書を無料で撮影させてくれる文書館はあるが、国立国会図書館にしかない資料も多く、その対応には疑問が残る。

このような土壌の日本だからこそ、モリカケ問題が起き、「忖度」も起きたといえるのではなかろうか。

歴史的に価値ある古い資料ばかりが、保存すべき公文書ではない。

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